このウェッブ・サイトについて
ひとの力で回転翼を回すという発想は変わりませんが、自重まで浮上させるのが課題です人が漕いで浮上するヘリコプターを設計、製作、飛行を行い、シコルスキー社が募集するシコルスキー賞に応募しようというひとを応援するボランティアグループの会です。
2012.6.22会が結成されました。設計も完了し、2013年4月19日模型も完成しました。2013年8月、初飛行を目指しています。
1980年にアメリカ・ヘリコプター協会が、10メートル四方内で1分以上ホバーリングし、3メートル以上の高度に達せねばならないとの条件付で、成功した技術者に20,000ドルの賞金を与えるシコルスキー賞を設けました。その後賞金は25万ドルに増額されたましたが、32年経っても、成功者はでていません。⇒2013.7.11カナダトロント大学チームが成功したというニュースが流れました。
日本に元気を取り戻そうと、雪ケ谷制御研究所社長伊東孝彦さんの構想、設計、製作への挑戦を応援するのが趣旨です。
構想・設計・製作をするひと:
伊東孝彦氏この人力ヘリコプターを設計、製作し、飛行させてシコルスキー賞を獲得しようと言い出したのは、2013年4月で79歳になった伊東孝彦さんです。
伊東さんは、東京工業大学を卒業後、会社組織には属さず、個人で雪ケ谷制御研究所を設立し、50年間も研究、発想、設計、製作をしてきた技術者です。
伊東さんの特徴は、誰もが疑わない昔からの物理の定理まで原点から考えて推論すること、昔ながらの製図板に向かってアナログで設計をし、CADの間違いなどは一瞥しただけで見抜いてしまう感を持ち合わせていることです。
更に特筆すべきは、試作となったら全部自分でやってしまいます。旋盤は勿論、溶接、研磨、電動機の巻き線まで手巻きでこなすという、広範な分野でプロの職人をうならせる技量を持っていることです。
20年も前に、電気自動車の開発に挑戦したり、キャパシタを使った電動電車も、自ら線路を敷いて実験をしています。日本における人力飛行機設計、製造の先駆者でもあります。
人力ヘリについても、日本で最初のYURI-Iのフライトに立ち会っています。その時の彼の助言が、その後の米国のガメラ2号にも活かされているとのことです。プロフィール詳細⇒
このサイトを制作しているひと:
孫が中学生の時に描いたイラストこのサイトを作っているのは、私、鈴木富司です。伊東さんと同じ大学の試験を受けた同級生です。在学中は、彼が乗り回すオートバイを眺める程度で、特に交流はありませんでしたが、三菱商事を定年で辞めてから、交流するようになりました。
定年後、メールマガジンに投稿したり、ウェッブ・サイトを制作しています。伊東さんの雪ケ谷制御研究所での活動が余りにもユニークなので、是非世の中のひとに知って貰いたいと思い、雪ケ谷制御研究所のHPを制作していましたところ、この人力ヘリの企画を知り、ウェッブ・サイトを制作することにしたわけです。試行錯誤を繰り返し、これはVer07です。
BiND6というソフトを使って制作をしています。サーバーとドメインは2012.6月の人力ヘリの会の初回会合の時に、資金をカンパして取得しました。
2013年4月に78歳になりましたが、iPhoneアプリの学校にも通い、「トミ爺」ブランドの老人向けiPhoneアプリ開発を行っています。
プロフィール詳細⇒
現在プロジェクトを推進しているひと:
孫が中学生の時に描いたイラスト設計も目処が立ち、製作にかかる段階で、スポンサーが現れました。東條巌さんです。元々、日本のIT業界の草創期より、ADSLシステムの構築などを行ってきた方で、ベンチャーの助け人でもあります。
日本のエネルギー問題を深刻に憂えて、東京大学の阿倍教授と伊東孝彦さんが開発を行ってきた「デジタルグリッド」という新しい電力供給システムの関係で、伊東さんとの出会いが生まれました。
「近代の人類はあげて資本主義ニヒリズムの前に膝を屈し、人間の持つ情念力を根底から失いかけてはいないか。この情念力の再生(ルネッサンス)のために、近代の病である科学技術の批判的な解体の実験を試みたい。」という主張をお持ちの熱い方です。
資金援助も申し出て、雪ケ谷制御研究所の取締役に就任しました。
最初に行ったことは、伊東さんへの質問攻めです。伊東飛行理論を聞き出して、雪ケ谷制御研究所としての企画・目論見書の作成でした。これにより、第三者も伊東飛行理論の内容と、このプロジェクトの可能性を感ずる
ことができるようになりました。
プロフィール詳細 ⇒
伊東さんの設計(こうやれば飛ぶ):
複雑な計算過程伊東さんの考え方は、ざっとこんな感じです。
今までの人力ヘリコプターの設計は、動力で浮上する現存のヘリコプターの設計に引きずられています。実際に、ヘリが浮上する理論も、実験データも、すべて動力ヘリのものが主でした。
最近になり、人力ヘリのものとして、米国のガメラII号が詳しい設計仕様を公表しています。その内容は、「陸地効果」に頼った設計になっています。
飛行機のプロペラやヘリのローターは動力で回すのが前提ですから、全く参考になりません。伊東さんは、何故グライダーは飛ぶのかという原点に立って考えています。グライダーの羽ねのようなローターを前の羽ねの影響を受けないように回せば良いのだということです。
動力ローターみたいに、次から次に廻ってきて前の羽ねの影響を受けるようでは効率の良い羽ねの役割をしません。そこで回転を非常にゆっくり回すことを考えました。
そういう前提で、60キロの人間が乗って人力で浮上するには、どれだけのローター直径が必要かを計算したのです。
そうしたら、当初、ローターの直径は50メートルにもなりました。機体の重量は25キロ以内と計算されました。普通、ここで、そんな大きなものは作れない、飛ばせないという結論を出してしまいます。実際、いままでに挑戦をした設計者は、製作可能な大きさや、飛行させる建物の大きさから機体の大きさを決めてから設計をしたと想像しています。
そこが、伊東さんの発想方法であり、チャレンジ精神なのです。
このプロジェクトが挑戦をする課題は、「ローターの直径が50メートル程度、機体の重量は25キロ以内の人力ヘリをどのように作り、飛ばすか」にありました。米国では屈強な若者が体力にものを言わせて漕ぐのに対し、伊東さんは半分も出力がない日本の標準的なパイロットを前提に設計をしています。
伊東さんは、過去の経験から、この課題はクリアできると自信を持っていて、実際に設計を行いました。その検討資料や複雑な計算表を眺めていますと、現実に姿を現して、飛び上がっていくんだというイメージが浮かびますから不思議です。
2012年10月になってのことですが、やはり50メートルの壁は大きすぎるということで、屋外で飛ばすことを前提に、種々シミュレーションをした結果、ローターの直径を32メートルまで短縮することができました。但し、パイロットは従来想定していた標準的な日本人の体力を上回るひとを探す必要がでてきたようです。
更に、2013.3.4には、再設計をしましたら、よい方法が見つかり、劇的に効率化できました。その結果、最大翼直径も28メートルに短縮でき、浮力は、今までのシミュレーションの最高を維持できました。
設計の詳細については、このウェッブ・サイトの企画ページに詳細を記していますので、ご参照ください。
”YUKIGAYA ZERO"と命名:
ZERO は、2号機はないという意味です。伊東さんの計算は、成功を相当の確度で示しています。これで、必ずシコルスキー賞を取る決意の表明でもあります。
伊東さんも鈴木も、第二次世界大戦中に、ゼロ戦を誇りに思っていた小学生でした。また、実際にゼロ戦は世界に通ずる性能を持っていたのです。
戦争に敗れた戦後、高度成長時代、馬車馬のように働き外貨も稼ぎ、一時はビジネスで世界をあっと言わせたましたが、最近は、自信喪失に陥っている感があります。再び、日本が元気になって欲しいとの願いを込めて命名しました。
YUKIGAYAは、伊東孝彦さんが精魂込めて創造を続けてきた雪ケ谷制御研究所から生まれる作品でもあり、まだまだ、雪ケ谷制御研究所を広く世間に知って貰って、伊東さんに創造をして貰おうとの願いも入っています。
応援する仲間:
人力ヘリの会の会長は伊東孝彦さんです。彼の周りにいる「伊東の信奉者」が声をかけて、この夢のある「日本を元気にする」プロジェクトにボランティアで参集しました。
人力ヘリの会を結成したと言っても、あくまでメンバーの個人がそれぞれ得意な面で伊東さんを応援しようというもので、会として行動するものではありません。
最初の切っ掛けをつくって下さったのは、伊東さんが昔から親しくしていたお寺の住職さんです。伊東さんの応援者で、常日頃伊東さんの見識と技術を高く評価し、彼の夢を実現させようと、2012年6月にポンと100万円を寄付されたのです。
東京工業大学で伊東さんと同級生であった私、鈴木富司は、三菱商事を定年退職してから、伊東さんとの交流を深め、雪ケ谷制御研究所のウェッブ・サイトを制作中でした。人力ヘリコプターの計画を知り、人力ヘリの会の結成に馳せ参じ、現在、このウェッブ・サイトを制作・運営をしています。人力ヘリの会の副会長に任命されました。
東京工業大学同窓の武田秀夫さんは、本田技研、日機装を定年退職後、雪ケ谷制御研究所の取締役としてして伊東さんを支えています。
大野輝昭さんは、私が伊東さんに紹介しました。超小型の電子顕微鏡を製造・販売する現役の社長さんですが、日曜ごとに伊東さんのもとに足を運び、設計の補佐をしています。昔ながらに製図板で線を引く方式の方がCADよりも優れていると二人は意気投合しています。これから、製作過程に入っても良き同志になるでしょう。
桝田良一さんは金沢に本拠を置いて全国的に活動するIT関係のコンサルタントです。とにかく面白いことが大好きなひとです。私が、本プロジェクトに巻き込みました。Microsoft社に表彰された技術と行動力を活かして、ウェッブ・サイトのSEO対策やブログなどを通じて、このサイトを世間に広めてくださることになっています。
横瀬正枝さんは、伊東さんの秘書役で、病院に通いながらお酒を飲みたがる伊東氏の健康管理もやっています。
会のメンバー詳細⇒
応援の仕方:
伊東さんの研究所の雰囲気人力ヘリの会は、会として応援活動を行うことは考えていません。
しかし、わたくしが、このウェッブ・サイトを作るように、それぞれのメンバーが個々に伊東さんを応援することを考えています。
こういう雰囲気で、世界的な偉業と取り組む姿勢は、若いひとに必ずや影響を与えると思います。
資金の目処もついたので、あとは実機の製作に集中し、8月にはフライトをする予定です。本ウェッブ・サイトでご縁のできた方は、多いに宣伝をしてください。
機体に貼るスポンサー名も募集しています。
詳細⇒企画
組織の概要:
NPO的グループ:
人力ヘリの会の組織としては、NPO的グループですが、2013年には、飛行を成功させ組織の役割は終わることを想定しています。NPO法人を設立する時間的余裕はありません。お役所の分類では「人格なき社団」ということになりますが、儲けを目的としたものではなく、夢を実現するための組織です。
プロジェクト運営主体:
YUKIGAYA ZEROは雪ケ谷制御研究所が主体となって、伊東さんが年月を掛けて構想してきたものをベースに、設計し、資材を購入し、事務所に併設されている工房で製作をします。協力者のパイロットを教育し、実験を繰り返したあと飛行を行います。成功の目処がたちしだい、シコルスキー賞への挑戦を雪ケ谷制御研究所名義で申請し、日本においてフライトを審査して貰うことを想定しています。
人力ヘリの会は、メンバーの個人が個々に伊東さんを応援することを考えています。当初は、人力ヘリの会として、寄付や寄贈資材を集めて、雪ケ谷制御研究所に対して援助資金や資材を提供することを考えましたが、伊東さんがスポンサーの東條巌さんと出会いましたので、東條さんが資金援助をして、雪ケ谷制御研究所が製作・飛行を行うことになりました。
事務所・工房:
人力ヘリの会の事務局は、雪ケ谷制御研究所内に事務所を設けました。製作も工房で行う計画です。試運転も近くの公園を予定しています。
人力ヘリの会および雪ケ谷制御研究所 詳細⇒